心はどこにある?

当社顧問の菊池一久【医事評論家】による健康コラムです。

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2006/04/07

心と生命(1)

〜心はどこにあるのか〜

心はどこにあるのか

心探しの毎日が、この連載を執筆するにあたって始まった。よく「胸に手をあてて反省しなさい」というが、心は胸にないようだ。 たしかに緊張したりすると、心臓の鼓動が高まるので、胸の違和感を意識することがある。

記憶---心

さて、記憶というものは不思議なもので、どういうことか、ふと遠い昔の出来事が、甦ることがある。これは私自身の体験の一つだが、住んでいる近くに夏目漱石にちなんで、幅広いバス道路でもあるやや急勾配の夏目坂がある。
この坂道を毎日のように上り下りをするのだが、その日に限って、鮮明に、昭和20年5月の東京大空襲で、尊い生命が数多く失われ、その無残な遺体が、今歩いている坂道にあったことと、あの燃えさかる炎のなかを夢中に駈け逃げたこと、さらにこの夏目坂に沿って小さな丘があり、その丘にある早大理工学研究所の下に、トンネル式の防空壕があり、そこで多くの女性、老人、子どもが窒息死したことなど、惨悟たる情景が、フラッシュ・バックとなって見えたのである。この記憶が瞬間的なものとしても、私の脳裡に映ったのである。
精神医学的には、記憶は大脳辺縁系のなかにある海馬に一時的に貯えられ、さらに大脳側頭葉にその多くが貯蔵されているという。
私の分析では、今日、イラク戦争や北朝鮮問題など、この地球上に、テロや戦争のきな臭さがあり、このことが深く眠っていた戦時の日々の記憶を引き出したのだと思う。
この現象に、心があることを私は強く感じた。
そして、さらに多くの心を日常のなかから求めてみた。

純粋な愛---心

昭和19年、私は中学生だったが、多くの文科系の大学、専門学校の生徒は、学徒兵として戦場に赴いた。誰でもが死を覚悟した。
私の知人の大学生も、その一人として兵隊になったのだが、恋人がおり、終戦の年、昭和20年に恋人は男の子どもを出産、その子は今日、立派な医師となって病院勤務医をしている。
戦場に赴いた学徒兵は、その尊い生命を散らしたのだが、恋人、すなわち医師のお母さんは、再婚もせず、「私が生涯、彼を愛することで、純粋にこの国のために生命を燃焼してくれた人間の存在が、私の心のなかに、私が生き抜いている限り生きつづけているのだ」と、社会環境が戦後180度変革して価値観が変貌しても、一筋に彼を想い、子供を育てた。
77歳で、この恋人はこの世を去ったが、「私は老いた老婆だが、夫は享年22歳の青年のままだ。彼の地で会うのがたのしみだ」といって、息子さんの医師に看取られて他界したという。

私は、この生涯の愛の純粋さに、その「心」をそこに見た。

アルツハイマーの夫と妻---心

私の知人だ。東大で数学を学び、日本を代表する電機産業に勤務、役員にまで昇りつめた技術一筋の研究者だ。まだ十分に働ける年齢なのに、アルツハイマー病を発症した。
アルツハイマー病は、脳内の海馬を中心とした場所や大脳頭頂葉、後頭葉、側頭葉などの神経細胞に異常物質や異常線維が発現し、神経細胞が脱落するのが、この疾患の病理だが、どうして病になるのか、その原因はまだよく分っていない。
脳の生化学面からみれば、神経伝達物質の一つであるアセチルコリンが減少していることが確認されている。
現在、日本で開発された薬に、アセチルコリンを分解する酵素の働きを抑え、認知機能など全般的に脳の機能の改善をしようという「アリセプト」という薬品が登場している。
専門医は初期段階には、この薬品がある程度の効果があるという。もちろん、彼も、この「アリセプト」を毎日服用している。
しかし、この病気は進行性で、脳がだんだんやせていき、痴呆症状が起こる。痴呆はいつとはなしに起こり、数年かかって徐々に進行するのだが、比較的早期から人格の崩壊がみられる。
彼の場合、症状もかなり進行し、奥さんが介護している。奥さんは、「もう私のことはおぼえていませんが、温和で眠っている時間帯が多いので、介護の苦労はそれほどではありません」という。大便排泄については、いくらか反応するようだという。
「医師は、正常な人だと思って接すると不愉快にさせられることばかりで、よほど人手がないかぎり、自宅療養は無理になりますよというが、私は時間のある限り介護をしたいのです。週一回のデーサービスのお世話になっておりますが、比較的に温和なので、最近は子どもを抱くようにして面倒をみています。

いろいろなことを話しかけていると、先日、一粒の涙が、夫のほほに流れたのです。私の心と主人の心が、どこかで通じ合っているのだと思うのです……」と明るく話をしてくれた。ここに、夫婦の「心」をみた。

学研会・知とロマン---心

私たち人間の「知」というものは素晴らしい。想像から研究、学問一筋に燃える、そこにも「心」がある。
「太陽・地球・生態系と時間治療学研究会」でご一緒している上出洋介氏(名大教授、名大太陽・地球環境研究所長で、専門は字宙空間物理学、太陽地球系科学)はこう述べている。
「宇宙といえば、夜空の遠い星々を想う人がいる。もちろん、そこも宇宙なのだが、札幌から旭川や室蘭ほどのわずか百キロメートルの距離を、このわずか百キロメートルを上の方へ行くだけで、そこはもう宇宙。
換言すれば、地球の生命はとるに足らない薄い大気と磁気に守られているということ、つまり、微妙なバランスの下で、私たちはギリギリで生きているということだ。宇宙に漂う、か弱い地球。そのうちの一種である人間は、自然の仕組みを解明していくなかで、愚かにも自分たちを破壊してしまうことができる力を作ってしまった。
日本史でも世界史でも、歴史は戦争の繰り返しであったが、幸いにも、現代史までは地球全体を壊すエネルギーを、この知的生命体は持ち合わせていなかった。
カール・セーガンの計算によると、この広い宇宙のなかには、知的生命体がお互いに勢力争い(核戦争)によって、自ら滅びてしまった星が十億個もあるという。宇宙の星に生命が宿るのは偶然の確率、そして滅びるのも確率によるというわけだ」と述べている。
カール・セーガンは、米国コーネル大教授でベストセラー『COSMOS』(木村繁訳、朝日新聞社)の著者でもある。
私たち人間だけが、他の動物とは異なり、大脳が巨大に進化発達し、知能という人間だけにある素晴らしい「心」を育むことが可能なのである。
後で詳しく述べるが、大脳新皮質や大脳前頭葉、側頭葉は、「知」だけではなく、物事を創造、そして常に現状をしっかりと見つめ、常に未来と夢を持ち、それをめざして実践できるのだ。
ご存知のことと思うが、米航空宇宙局(NASA)が、1972年3月に打ち上げた無人惑星探査機パイオニア10号が、海王星の軌道を通過し、この人工物体が初めて太陽系を飛び出している。宇宙への地球からの手紙や電波発信機を搭載し、地球外の知的生物(E・T=extra-terrestrial))との出会いをめざしている。人間の知能と夢、この「心」は、私たちに生きていく勇気とロマンを与えてくれる。

新聞投書にみる---心

先日、朝日新聞の「声」に載っていた、42歳の主婦の投書が目に入った。中学生の息子が使っている傘の骨が3本折れたという。捨てようと思ったが、近所に傘修理の店があり、息子の教育もかねて修理を依頼した。一本の骨が315円、3本で945円かかる。新しい物を購入した方が合理的かもしれない。
修理ができた時、お店のご主人は、料金は2本分の630円でいいという。
「直して使おうという気持が嬉しくてね」と店の人はいう。主婦は自分の心が通じて嬉しかったというが、修理代が製品価格に比べて割高で直して使うよりも、次々と新しい物を買うのが当り前。作る人にも使う人にも製品への愛情が感じられないことが多い。
こんな今日の社会で、あの修理屋さんは商売がやっていけるのだろうかと、心を痛めたとある。
もう一つの投書は、息子が3人おり、いずれも私立大学へ進学、親は大変である。56歳の一家の主人からの声だ。
進学に備え加入した学資保険も貯金も底をついたという。奥さんは、ヘソクリを支出すると明るくいう。いざという時は、みなお蔭様で元気だ。将来への蓄えも初めからなかったと思い、家族が互いに助け合うことしか残っていない。これがわが家の備えでもあると
---そこには家族が一つになる「心」があった。新聞の読者の声を見ていると、いろいろあるが、体と心の大切さを訴える内容が多い。

子どもへの残酷な事件

乳幼児への虐待には心が痛む。親はこの乳幼児にとっては神に等しい存在なのである。
その神たる人間が、小さな生命に暴力をふるう。ある場合は殺してしまう。乳幼児は、ただただ目に涙をいっぱいため、泣き、最後の最後まで親に同化して、なんら反抗も疑いもしない。精神的に発達していない乳幼児の純粋な魂が殺されているのだ。
精神医学面では、親自身が依存的である場合、その親にとって、子どもの依存を受け入れて、その欲求を満たしてあげることが非常に困難で、ストレスに満ちた行為となる。
そのため子どもを虐待するようになるのだと述べている。知の大脳と情の大脳辺縁系の部分が、多くのストレスでアンバランスになって、コントロールできず、発作的に犯罪を起こしてしまうのか…。よく獣のような残酷さというが、獣は人間ほど残酷ではない。巨大な大脳に進化したことが人類にとって不幸なのか……。

心は深く複雑で、残酷性や逆に美しさを日常のなかで多く見せてくれる。「心」とは何なのか。「心のなかの動きとは何なのか」、心はどこにあるのか---。

心は脳にあるのか

辞典を開くと、こころ(心)は、「人間の理性、知識、感情、意志などの働きの元になるもの」(大辞泉、小学館)、とある。
医学の祖ヒポクラテスは、心についてこう述べている。
「人は脳によってのみ歓びも楽しみも、笑いも、冗談も、はたまた嘆きも、苦しみも、悲しみも、涙の出ることも知らねばならない。
特にわれわれは脳がある故に、思考し、見聞し、美醜を知り、善悪を判断し、快不快を覚えるのである」(今裕訳)
ヒポクラテスは、古代ギリシヤの医師である。迷信や呪術を排して臨床の観察と経験を
重んじ、科学的医学の基礎を築いた。医師の倫理についても論じ、医学の父と称されている。
「心の起源」(中公新書)の著者、木下清一氏(東大名誉教授)は、「私たちは物質世界、生物世界、心の世界という三つの世界のいずれかにも属していて、そのすべてから養分を吸い上げて生きている。
したがって、私たちは物質として存在することもできるし、生物として生きることもできるし、さらには、心のいとなみを味わって生きることもできる。心の世界を持っているからこそ、生きていることを自覚し、生きている意味を考えることができることを思うと、心の世界を持った重要さは格別のものといえよう」とある。さらに、生物世界が破れたら、すべての生物は物質世界にもどる。それは生物の死である。それと同じく心の世界が破れたら、すべての心は生物世界にもどる。それは心の死であり、私たち人間も、生物として生きるだけになると述べている。 さて、図-1にあるように、知的活動の進化は大脳の大きさにある。ところが、本能として働く古い脳は、動物の種によってもあまり関係せず、犬、猫、猿でも人間とおどろくほど、似ている。古い脳は大地であり、知的脳は、その大地に育った樹であるようだ。(つづく)

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